デザインコンセプト
<トータルデザインでブランドイメージ向上>

iMacやiPod、iPhoneなどアップルの商品を購入するとデザイン性の高さはもちろん、そのパッケージデザインから面がフラットで余計な膨らみや段差が一切ない箱など細部に至るまで、トータルに美的かつ合理的にデザインされていることに気づく。
個人的には食事をするときや洋服を買うときなど商品自体の品質や店員のサービスはもちろん、お店のインテリアやロゴマーク、ショップカード、梱包に使うシール、手提げ袋、メニューやウェブサイトなどトータル的なビジュアルの視点を重視する。なぜならそれらお店が発信するツール類にはお店の理念、感性や価値観であるいわゆる世界観が色濃く反映されているからだ。服装、髪型や持ち物、車や家の雰囲気などでその人がどういう人なのかがある程度予測できるのと同じだ。商品がいくらよくても例えばそれを入れる手提げ袋や手渡されたメニューがダサかったらがっかりする。派手さや豪華さを言っているのでない。ようはセンスと丁寧さだ。我々消費者は商品と共にそのブランドの世界観も合わせて買っていることを忘れて欲しくない。

普段ロゴやチラシなど単体でのデザイン依頼があった場合は、極力トータルデザインをお勧めしている。それだけではデザインの効果が充分に発揮できないからだ。映画で例えるとロゴやチラシなど単体のデザインは役者の一人に過ぎない。いくら役者一人が頑張ってもストーリーはもちろん、脚本家、共演者、カメラマン、美術監督そして監督など制作に関わるスタッフ全員の技術が高くなければ決して良い映画にならず、人に感動を与える作品にはならない。つまり前述のツール類をトータル的に一つひとつしっかりと細部まで、かつ継続的にデザインしてこそ初めて、信頼される企業や商品になり、世の中に「ブランド」として確立されていくのである。

近代建築の巨匠ミース・ファンデル・ローエは「神は細部(ディテール)に宿る」という言葉を残した。優れた作品には人智を凌ぐ秀逸な細部があるという意味で、建築の世界では今でも使われている言葉のようだ。逆に言うとデザインする上で余白のとり方、フォント、紙や素材の選び方、文字の大きさや太さの微調整など細部にまでこだわったデザインは、大袈裟に言えば時として神がかり的なブランドを創り得る可能性があるということだろう。

細部まできっちりデザインされているという印象を消費者に与えられることができれば、高い広告料を払わなくてもそれを見た消費者が勝手に宣伝してくれる。本人がいくら「自分の店はうまいよ!」と言い張ってもどこか信憑性に欠けるが、誰かが「あの店うまいぞ!」って言っている口コミは信頼性があり、何故か信じてしまう。その口コミを生じさせることこそ本来のデザインの役割であり、ブランドの本質だと考えている。
そしてそのブランドを創る上で重要なことが、企業の想いや目的をわかりやすくグラフィックとして具現化することである。

岡山県の教育や文化を通して、地域づくりに情熱を燃やす人々を支援している公益財団法人福武教育文化振興財団のCI(コーポレートアイデンティティ)&ブランディングデザイン。
開かれた財団であることを県民にアピールしたいとの依頼から、まずはロゴマークを作成した。そのヒアリング時に次のような要望があった。

■一般の人からの認知度が低いので、高くしたい
■人を感じさせるデザインにして欲しい
■助成対象は岡山県内だが思想は世界へ
■世界共通の価値観的な要素を入れたい
■オリジナリティを出したい

そこで提案したのがこのデザイン。コンセプトは以下の通り。

「F」をモチーフに「人」と「人」が結びつき、支え合い、触れ合う様子を表現。同時に地域の教育、文化との結びつきを強め、より充実した支援体制を表現している。また曲線は人間らしさを表している。福武(FUKUTAKE)のFと財団(FOUNDATION)のFであるのと同時に、財団のアイデンティティを表す、以下のFでもある。Free,Fair,Faith,Family,Future,Feel,Field,Fine,Friend...

カラーのスカイブルーは、世界に広がり、人の活動をいつでもどこでも、誰にでも、寛大にかつ平等に見守ってくれている「空」をイメージ。また「晴れの国・岡山」の地域特性を表現しており、同時に、教育・文化の新たな価値観を創造し続ける貪欲さとフレッシュさを表現。
これらのコンセプトに沿って名刺、封筒などのステーショナリー、社章、パンフレット、賞状、手提げ袋、財団主催イベントフライヤーや機関誌など財団から発信するもののほとんどをトータルでデザインしており、統一感の強化、ブランドイメージ向上、そして費用面を含めた制作過程の簡素化を図っている。

―以下、財団・中野行雄常任理事談―
ロゴマーク導入以降、マークの意味をスタッフが共有することによって、財団全体の目的意識が明確になった。対外的には名刺交換時に「このマークは?」から始まるコミュニケーション機会が増えたのと同時に、「ロゴがいいですね!」と言われることによる誇りや責任感の向上が見られるようになった。さらにロゴマークの意味を相手に伝えることによって、相手方の財団イメージの向上と財団への理解を深めてもらい易くなり、全体として財団のポジティブで好ましい統一したイメージを発信でき、認知度拡大につながっている。

<グラフィック、空間、WEB。デザインの三位一体で患者へ安心感を与える。>

今年の初め、不意に侘び寂びの世界を堪能したくなり、京都は樂美術館を訪れた。樂美術館には樂家歴代の作品や茶道工芸品、古文書などが収蔵・展示されており、樂家初代長次郎の「黒楽茶碗 銘『面影』」はあの千利休の美意識の最高峰と称されている。残念ながら今回は巡り合えなかったが樂家450年の作陶世界を翫味できた。
千利休と言えば我々の世界では、日本で最初のクリエイティブディレクターと言われている。茶道具をはじめ床の間、花入、裂や扇の紋様の見立てから茶会などのイベントプロデュースまで利休独自の卓越した審美眼を通して、さまざまな新しい試みを茶の湯に持ち込んだ。
中でも利休は待庵に代表される茶室の普請においても画期的な変革を行っている。それまでは四畳半を最小としていた茶室に、庶民の間でしか行われていなかった三畳、二畳の茶室を採り入れたり、窓を採用し茶室内の光を自在に操り必要な場所を必要なだけ照らすなど空間をより緊密にした。また単なる通路に過ぎなかった露地も、積極的な茶の空間とした。
こうして茶の湯において茶道具の見立てから茶室の空間に至るまでを利休の美意識と価値観で総合的に差配し、客と一期一会で対峙し得るもてなしの場を作り上げた。

大正14年創業、90年以上続く倉敷市児島のなんば歯科医院。院長の交代を機にロゴマークとウェブサイトの作成及びリノベーションを行った。
歯医者さん。子供の頃はもちろん、大人になった今でもどうしても怖いイメージが付き纏い、正直なるべくお世話になりたくない。そうした多くの人が感じる不安や緊張感を取り除き、アットホームでリラックスできる雰囲気づくりをして、新たな患者にも来てもらうことが今回院長の狙いであり、デザインのポイントとなった。
ロゴマークは「n」をモチーフに歯の並びを表現。多色を用いることで楽しさや明るさ、親しみを表現。また円を重ねることで患者との入念な対話や信頼関係、地域との密着を表現。そして院長が4代目ということで、今まで先代が培ってきた歴史と未来へのつながりを表現している。

空間は基本的に化粧板やビニル床タイルなど人工材料は使わず、木を多用している。我々日本人は不思議と木に触れると安心する。古代から集落や歴史的建築物、庶民の農耕具や生活道具にも木は使われてきたからであろう。木に対する安心感は古代から日本人のDNAに連綿と刻み込まれているようだ。谷崎潤一郎も「陰翳礼讃」の中で病院の空間には柔らかさが必要であると語っており、谷崎自身、和の空間がある歯医者へ好んで出かけたようである。
エントランスは明るく開放的で患者が気軽に入れるようにガラス張りとした。また照明器具を少し工夫することで和やかさを演出。「居は気を移す」と言われているが、患者からの評判はもちろん、院長やスタッフも院内の雰囲気が明るくなり、仕事に対するモチベーションの向上を感じているようだ。目立てば良いと我が物顔で景観を阻害しかねない看板を作るのではなく、建物自体が通行人から目を引くような美しい佇まいこそ、最良の看板であり宣伝ではないか。
また不安感を募らせる患者が一番頼りにするのはやはりウェブサイトだ。診療時間はもとより、先生やスタッフの人となり、医院内部の様子や診察風景などは歯医者を選ぶ決め手となる大切なツールであり、医院側としても新規の患者を獲得するには欠かせない存在である。
今回ウェブサイトには商業広告的に演出されたモデルや市販されている画像素材集を使うのではなく、スタッフや患者の自然体で表情豊かな生の写真を使用しており、患者一人ひとりを大切に診療するという強い想いを表現している。

リニューアルから一年が経ち新規の患者が目に見えて増加しているようだ。ロゴマークやサインなどのビジュアルデザイン、空間、そしてウェブサイト。患者に安心感を与える観点では、それぞれの機能だけではどうしても弱いが、今回これらを三位一体で有機的に連動させることで、1+1+1が5にも時には10にもなるということを実証してくれた。

利休が美意識を集結させ一期一会の精神で客をもてなしたように、デザインの連動により患者一人ひとりを大切にする想いを可視化できた。

なんば歯科医院 倉敷市児島
<岡山の誇る人やモノをデザインの力で世界へ発信>

僕はよく負け惜しみを込め「首都は東京と決められているけど、それ以外の中心は何も東京に決まっている訳ではない。デザインもしかりである。」と言っている。いやそう思いたいだけなのかもしれない。
岡山生まれ岡山育ちである僕にとって子どもの頃から中心と言えば自然と岡山であった。でもデザインの仕事を始めてからは、それは政治、経済の中心同様、企業の規模、メディアやデザイナーの力からやはりデザインの中心も東京だと思い知らされた。
実際地元の有力な企業は我々を飛び越えて東京のデザイナーに依頼するし、優秀な学生は東京のデザイン事務所や代理店に就職している。その要因の一つには地元で活動する我々デザイナーの力不足が原因であることも否めない。

これは何もデザイン界に限ったことではないだろうが、こうした構図がいわゆる「中央」と「地方」の格差をより広げているきがしている。そもそも「地方」という言葉自体が何となく田舎のニュアンスを含み、東京を「中央」でそれ以外を「地方」と呼ぶ傾向があるが、正確に言えば「東京」も歴とした「一地方」である。まあこの際そんなことはどうでもいいのだが、僕は「地方」ではなく「地域」と呼ぶ方が適切だと思っている。
また最近は地域のブランディングと称し、その地域に縁もゆかりもない中央の有名デザイナーが突然来て、真しやかな活性化論や地場産業とタイアップしてそれらしいデザインを施し、話題作りを提供している事例が各地でみられる。瞬間的な効果はそれなりにはあるのだろうけど、持続性を含めた真の意味での活性化にはつながっていないように感じるの僕だけだろうか?せいぜい東京のアンテナショップが賑わうくらいで、地元経済にはほとんどメリットをもたらされていない気がする。

これから必要な考え方としては地産地消ではなく地産国消。本当の意味で地域を活性化させるには地元のデザイナーが中央に負けないくらい質の高いものを創造し、それを全国、世界に発信する力を身に付ける必要がある。まずは地域デザイナー自身のブランディングから始めなければならないと感じている。

2012年4月にリニューアルされた岡山大学のコミュニケーションシンボルそれまでのシンボルマークは岡山出身の某有名デザイナーがデザインした「岡山大学(OKAYAMA DAIGAKU)」の「O」と「D」を組み合わせたロゴタイプが使用されていたが、前年に新しく就任された森田潔学長から「DAIGAKU」というのは日本語であり、それではグローバル化に対応できないため「OKAYAMA UNIVERSITY」の「O」と「U」をモチーフにしたデザインに変更したいと依頼があった。
森田学長は岡山大学の教員、学生、職員などを可能な限り世界に派遣し、高度な国際化対応能力を身に付けさせ、さらに世界から優れた学生、研究者を呼び込み、岡山大学を世界に向けて創造的な知の成果を発信する大学にしたいという想いを持たれている。
また同学長は岡山大学医学部ご出身の医師で前岡山大学病院長ということもあり、ヒアリング時に「学問はここ岡山でしっかり学び、医療は世界に向けてやっている」とおっしゃられていた。
さらに早稲田大学の「W」や立命館大学の「R」のようにひと目で岡山大学というのがわかりやすく、学生、職員、OBや地域が一致団結できるシンボルマークにしていきたいとの想いもおありになった。

そうして数案の中から選ばれたのが、「O」と「U」をモチーフにスタイリッシュさを感じさせられるデザイン。全体のフォルムは、常に世界に向かって開かれる「知の扉」を表現しており、岡山から「知のコミュニケーション」が始まってゆく様をイメージしている。ブルーの色調は、岡山大学の叡智を表現するとともに、「晴れの国」の青空を象徴している。

グローバル化というのは世界に出て挑戦するということでもあるが、地域活性化の観点からは、世界に発信できる人やモノを地域に創造することの方が大切なのかもしれない。岡山の誇る人やモノをデザインの力で世界に向けて発信していき、岡山のグローバル化に貢献できればと思っている。

<グラフィックデザインでまちづくり>
街づくりにデザインの力は欠かせない。人、建物、車、看板(サイン)、道路など一つひとつの小さなデザインの集積が街を形成しているからだ。中でも看板が意外に多いことに気づく。企業がこぞって林立させる玉石混淆の看板は、時には景観を乱し、治安を悪化させる要因にもなる。かつて当時凶悪都市だったニューヨークのジュリアーニ市長が落書きを減らして犯罪を激減させた話はあまりにも有名だ。いわゆる「割れ窓(ブロークンウィンドウズ)理論」を用いたのだ。建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰もその地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。だから一つの看板こそ美しく、センスあるものにする必要がある。極論いかがわしい輩たちはきれいなお花畑の真ん中で粗相を企てられないだろう。その心理こそ、有効に活用するべきだ。
またデザインには地元の魅力を掘り起し、愛着や誇りを覚醒させる力がある。我々は企業のロゴマークをデザインする際に、その企業の歴史を紐解くとともに魅力や特徴などを顕彰し、その価値を共有する。そうすることで経営者や社員は改めて会社の魅力に気づき、それが愛社精神につながる。愛社精神を持っている社員が多いほど、その企業はいい仕事をする傾向がある。つまりその力を「街」に応用すれば、郷土愛を持った人が増え、街の質を高める土壌になる。実際ドイツの地方都市では「郷土愛」という感情が概念化され、政治や文化の文脈として議論されており、街の求心力にもつながっているようだ。
乗りたくなるバスや自転車、行きたくなる市民会館、気持ちの良い病院、遊びたくなる公園・・・。同じお金をかけるならセンスの良い方が地元の人達に愛されるだろう。

2017年4月に新設されたJR岡山駅と日本三名園の一つ岡山後楽園(以下「後楽園」)を結ぶ直通シャトルバス『岡山後楽園バス』(以下「後楽園バス」)のバスラッピングからポスター、フライヤー、チケット、バス停、車内サインまでのトータルデザインを担当した。「あったらいいバス」「わかりやすいバス」「乗りたくなるバス」をコンセプトに、運行事業者である宇野自動車の宇野社長をはじめ職員の方達と、ネーミングの検討から1年近くかけて取り組んだ。年間80万人を超える観光客が訪れ岡山を代表する観光地である後楽園への公共交通でのアクセスの不明瞭さが指摘されていた中、岡山大学や岡山市などが連携して都市交通を考える「岡山まちとモビリティ研究会」で同区間を結ぶバス路線の提案があり、宇野社長が手を挙げられた。「わかりやすいバス」というのは県外からはもとより、近年増加している海外からの観光客にも一目でわかり、迷うことなく安心して後楽園まで案内できるバスにしたいということ。岡山市内はバス路線が充実しており、特に岡山駅は100路線近いバスが発着する。老若男女が行先を間違うことなく乗車できることを最優先に配慮する必要があった。「岡山後楽園バス」という名称も一見平凡にも聞こえるが、そのストレートさがわかりやすさにも繋がった。また路線を競合する他社のバスとの差別化を図るためにもいわゆるかっこいいバスにしてたくさんの人が「乗りたくなるバス」を目指した。同時に「美しさ」にもこだわった。それは岡山の中心部や美術館、文化施設が集積するカルチャーゾーンと呼ばれるエリアを走るバスであり、移動するものとは言え、街の景観の一部となるからだ。同時に300年以上の歴史を誇る由緒ある後楽園の情緒や美しさを表現したかった。

デザインは後楽園の日本庭園をイメージし、深みのあるグリーンを基調として統一的に展開した。特にバス車体のグリーンは宇野社長と検証を重ね、何度も業者さんに色サンプルを作ってもらい、ようやく出せた完全オリジナル色だ。バス停は四方から認識できるよう角柱にして視認性を高めると同時に、景観を乱さず街並みと調和が図れるデザインとなるよう心掛けた。また若干のプレミアム感とおもてなしの観点で車内のサインデザインも整えた。地味なところなので気づく利用者は少ないと思うが、細部にもこだわった。その甲斐あってか、素敵だからとバス目的で乗車される方、降車後写真を撮られる方や先着の競合他社バスをスルーしてわざわざ乗車される方もいたり、またとてもわかりやすくて後楽園まで迷わず来れたと喜んでくださる方もいるようだ。

今回は公共性が高く、文化歴史性がある施設を結ぶバスのデザインであるため、わかりやすさと美しさの両方が求められた。社会の中で必要とされる「デザイン」とはバランスだと思う。猪熊弦一郎は「(絵画の)美とはひっきょうコンフュージョン(混乱)とオーダー(秩序)とのバランスだ」という。機能性と造形性、社会性と作家性、大胆さと奥ゆかしさ、そして常識と反常識。それらが互いに鬩ぎ合う中で、美術的価値と経済的価値の究極のバランスを可視化することが「デザイン」という行為であり、その究極のバランスの上に生まれる「デザイン」にこそ人は魅了されるのだろう。

私は理工学部土木工学科を卒業後、6年間ほど都市計画コンサルタントで街づくりに従事していた。そこで直面したのは街づくりではハード面の整備が主で肝心なソフト面は二の次ということ。このやり方ではインフラは整備されるけど、本当に住みよい街ができるのか?という疑問を抱くようになった。また個人の住宅を設計するような感覚でプランナー一人が街全体をデザインできるはずがないとも悟った。しかし一人の力で街全体はデザインできないけれど、ポスターや看板など小さなものなら一人でもデザインできるのでは一念発起し、グラフィックデザイナーに転身した。先述の通り、街は建物や看板など小さなデザインの集積で形成されているため、その一つひとつを良いものにしていけば、きっと街全体も良くなるはずである。
この後楽園バスが観光客の利便性の向上のみならず、美の連鎖の呼び水となり岡山という都市がより美しくなることを期待したい。

<よりよいロゴマークデザインは、ビジネスマナーの一つです。>
「情報のおよそ9割は視覚を通じて伝わる」と言われている通り、大手企業や有名ブランドなどを思い起こすときにまず浮かぶのがロゴマークではないだろうか?
星の数ほど存在するこのロゴマークが、なぜこんなにも普及したのかを必要性という観点から探ると以下の通りである。
「企業や商品の優れた特性や独自性を統一されたイメージやデザインで発信することで、社会におけるより良い企業活動、より良いコミュニケーション、より良い関係を築くことができ、同時に競合企業や商品と明確な差別化がなされるようになる。」

必要なことがわかったところで、今度はその「質」について触れてみたい。デザインの良し悪しは、好き嫌いや価値観の問題で判断されるケースが往々にしてあるが、ビジネス上においてはそれは間違いだと言ってもよい。デザインの「質」を「マナー」と置き換えてみるとわかりやすいかもしれない。マナーの良し悪しを普通好き嫌いで判断することはない。マナーは社会や公共の場で人々がお互いに気持ちよく過ごすための知恵であると言え、実はデザインの役割や価値と重なるのだ。
一方法的拘束力がない以上、守らなかったとしても裁かれることはないし、他の人に強制するものではない。だからこそより大切にしなければならないもので、服装にしても、食事にしても、対人関係にしてもマナーを守る姿勢にこそ、その人の真の人間性や価値観があらわれるものであり、それが社会的評価や信頼へとつながるのである。

したがってビジネスにおいて社会とコミュニケーションを図ろうとする時、デザインの「質」は大切で、だらしなかったり、騒がしかったり、乱暴だったり、自分本位なデザインであってはならない。
伝えたい要素が入っていることはもちろん、品位、品格があるものであり、人にやさしいものであり、美しいものであり、創造的なものであり、ときには楽しいものであり、そして何より人の心を気持ちよくさせるデザインであるべきだ。それが企業やブランドの顔となるロゴマークデザインであればなおさらだ。
デザインの「質」を向上させることこそ、社会からの信用を得、企業・ブランドイメージ向上、そして売上向上につながる近道の一つだ。

<デザインの役割1 −人に「自信」と「誇り」を与えるもの>
昨年、2020年に東京でオリンピック、パラリンピックが開催されることが決まった。もちろん実際に世界のトップアスリートによる夢の競演を近くで見られるということは楽しみであり、経済効果も大きいと思うが、震災復興を世界へアピールすることを含め、2020年に向けて国民が一致団結して「がんばろう」という精神的支柱となるものができたことが何よりの恩恵ではないかと思う。オリンピックの開催は国民それぞれの心の中での「希望」であり、「誇り」となるものであろう。

ビジネスの中でデザインに課せられた役割として、売上やブランドイメージの向上がある。もちろんそれらが大切であることに間違いない。しかしデザインにはそう言った数字や表層部分だけでは語ることができない「心」のパワーが秘められている気がする。

IT自体をデザインする全国でも有数の企業「株式会社オービス」のビジュアルリニューアルプロジェクト。創業25周年を機にこれからの時代に対応する新たなロゴマークを作りたいと、なんと社員さん達の声で動き出したプロジェクトだ。最初の打ち合わせで、本来なら社員旅行で使うお金をこれからの会社のためになるプロジェクトに使いたいとおっしゃられたのを聞いて、意識の高さに驚くのと同時に、責任の大きさに身の引き締まる思いがした。
社内にプロジェクトチームを発足し、自分たちのデザインは自分たちで決めて行くという体制で進められた。様々な議論と検討の末、最終的に会社の特徴を表したとてもシンプルなロゴタイプが完成した。
完成後しばらく経ってチームの方々との慰労会の席でこんな意見が聞かれた。「新しいデザインになって名刺をどんどん配りたくなりました」「お洒落になったね!とよく言われうれしくなります」「このデザインをきっかけにお客さんとのコミュニケーションがスムーズになりました」「自信と誇りを持って仕事に取り組めるようになりました」 「今まで薄かった愛社精神が芽生えてきました」

正直ビジュアルデザインを変えたからと言って、とたんに業績に結び付くかどうかはわからない。服装を変えたからと言ってすぐに恋人ができないのと一緒だ。
でも社員の会社や業務対する姿勢やモチベーションが向上していることだけは確かだ。楽しいことを一生懸命やっていれば必ず結果が出る。楽しそうに仕事をやっている人から名刺をもらうとその人に仕事を頼みたくなるものだ。人生において多くのパワーと時間を費やす「仕事」を楽しむことができれば、それに勝るものはないだろう。

コシノ三姉妹の母・小篠綾子さんの言葉に「本当にいい服は人に誇りと品格を与え、それが希望へつながる。服は着て歩くことでそれに相応しい物事を引き寄せる」(NHK朝ドラ「カーネーション」より)とある。
良いデザインにすることで「自信」と「誇り」を持つことができ、さらに良いお客さんとも巡り合えることができるということだろう。
つまり我々デザイナーの仕事は、依頼者が「自信」と「誇り」を持ってこれからもっとがんばれるよう、その人に最も相応しい洋服を選んで、着せてあげることかもしれない。

<デザインの役割2 −人を引きつけ、まとめ、動かす力がある−>
メジャー初打席初球が頭部デットボールとなり、視覚障害などでそれ以来メジャーの試合に出場できなかったグリーンバーグ選手が、一昨年1試合だけメジャーリーガーとして打席に立ったことを覚えているだろうか?彼の野球への情熱を失わず、メジャー昇格を目指す姿が、カブスファンの心を動かし、"ONE AT BAT GREENBERG"(グリーンバーグにもう1打席を)というムーブメントを引き起こしたのだが、このとき活躍したのが"ONE AT BAT GREENBERG"と記された一枚の小さなポスターだった。
デジタル化が進んだ今日ではあるが、一枚の紙切れでしかないポスターには社会をも動かす大きな力が宿っている。

BEAUTIFUL JAPAN DENIM EXHIBITIONのポスター。これは長年ジーンズメーカーのビッグジョンや倉敷ファッションセンターに勤められ、現在は倉敷ファッション研究所代表である吉村恒夫氏が、日本のジーンズは世界的な評価を受けており、多くの海外バイヤーや業界関係者そして地元の人々にもジーンズの素晴らしさを知ってもらいたいと2016年に企画している総合展示会である。
当初は手作りの企画書を片手に関係者に「こういう展示会をしたい」と話すと、「いいね!面白そう!応援するよ!」とは言われるけど、どちらかと言えば半信半疑的な受け止め方をされていたようだ。それがこ今回ポスターとパンフレットを実際にデザインし、印刷して持って行くと、「吉村さん、本気だね!」「内容が見えてきた、一緒にやりましょう!」などあきらかに相手の目の色が変ったとのこと。
論より証拠とはまさにこのことか。今までは論じていたに過ぎない企画だが、目の前にポスターという形で想いが視覚化され現れることで、目的達成に向けての行動意欲とその覚悟が伝わり、多くの人の賛同を得られるようになったのだろう。

次に岡山芸術回廊のプロモーションポスター。メイン会場となる後楽園の緑と岡山城の黒のシンボルカラーの上に、旭川の水面を彷彿させるキラキラとした箔押しを使用。歩いている人の目を引くかどうかは、0.3秒で決まると言われているため、掲載情報は最小限に抑え、ツートーンカラーでインパクトを与えながらも景観を乱さないようまちづくりにも配慮したデザインとした。
情報が少ないからこそ見る者の想像力を掻き立て、同時にイベントに対する期待感や高揚感を煽る。また参加するアーティストの創作意欲も掻き立てたようだ。

最後に、「岡山発“世界を0.03%変える映画”『ボクらの日本一周どんぶらこ』」の製作費の寄付を呼びかけるポスター。
製作費を広く一般から募るという趣旨のため、「映画を創らせてください。」という単刀直入なコピーとともに目に留まりやすいシンプルなデザインとした。
このポスターを持って寄付金集めを行う中で、横長の変形サイズが注目され、その理由を訊かれることが多く、映画に因んだスクリーンサイズであることを説明すると「なるほど!」と感心してもらえた。さらに通常は縦型のポスターが多い中、横長であることで貼り難い面もあるが、敢えて縦に貼るなど、かえって話題性に富み、本来の目的に加え新たなコミュニケーションを産んだ。

このようにポスターの役割には情報伝達以外に、人を引きつけ、人をまとめ、そして人を動かす力がある。幕末の戊辰戦争では新政府(官軍)の証である「錦の御旗」を掲げた薩長軍が一気に優位な立場となり、賊軍とされた幕府側に大きな打撃を与え、結果大きく時代は動いた。同じく海援隊や新撰組もシンボリックな旗の下に士気を大いに鼓舞してそれぞれの任務を全うした。

しかしこうした心理戦略がかつてソビエトやナチスなどで情報統制のための政治的なプロパガンダとして間違った使い方をされた時代もあった。だがそうでは決してなく、先述の"ONE AT BAT GREENBERG"のように、一枚のポスターが人を感動させ、世の中を動かし、社会的意義のあるムーブメントを喚起・誘発するアイテムとなるよう、これからも世の中で大いに役立ってもらいたい。

<心で創る−娘を嫁に出す想い>
近年食の安全神話を脅かす問題が多く起こっている。中国製冷凍ギョーザ事件をはじめ北海道・ミートホープ事件、「白い恋人」賞味期限改ざん問題、老舗料亭の賞味・消費期限が切れ・産地偽装問題、そして原発による産地偽装問題など数えればきりがない。しかも誰もが知り、ブランドとして長年確立されている企業や商品が起こしているからさらに問題だ。
消費者は何を信じていいのだろうかと不安になっている。
そもそも経営者や生産者が商品や消費者を大切に思っていたら、そんなことはできないはずだと思うのだが・・・。

岡山市南部ののどかな田園地帯に立地し、近年話題の“皮まで食べられて種がないぶどう”で知られる「桃太郎ぶどう」と「シャインマスカット」を中心に生産している農園のブランディングデザインをお手伝いしている。ロゴマークからパンフレットやDM、ポスターなどのプロモーションからウェブサイトまでをトータルにサポートしている。
プロモーションの大きなテーマはどのような環境、風土の下で、生産者がどう言った想いで商品を作っているのかを全国の消費者に伝えること。つまり美味しさはもちろんのこと同時に安心感も伝えることだ。

これは何も戦略的に企てたテーマ、コンセプトではなく、この農園の生産者を見ているとまるで我が子のようにぶどうを大事に育てていて、出荷時にはその子を嫁がせているように僕には映ったので、自然とそうなった。
ぶどうには出荷直前まで病害虫や日差しなどから守るために一つずつ丁寧に袋をかぶせている。その様子はまさに結婚前のベールに包まれた花嫁の姿のようである。僕にも一人娘がいるのでよくわかる。

商品の売上を伸ばすのにマーケティングや販売戦略ももちろん大切だが、やはり作り手の「心」が大事ではないかと思う。「心」を込めて商品を作っているかどうか。売っているかどうかだ。大事な人の手作り料理はやはり美味い。時には三つ星レストランの味を凌駕することもある。

私事に置き換えればこれは「デザイン」だ。僕自身が施すデザインをまさに我が娘と同じだと考えているので、それをクライアントへ納品するのは嫁に出すような気分だ。だから時には出来上がったデザインに対して色々と理にそぐわない注文を付けられると、融通が利かないこともある。これを不器用で頑固者と捉えられればそれまでだが、それくらいの想いを込めて作っている。
そういう想いを持っていると偽装や改ざんなどできる訳がない。果たして我が子に嘘をつけるだろうか?

そういった中でデザインは生産者と消費者の「心と心」を結ぶ架け橋のようなものであり、また同時に生産者から送られる気持ちのこもった手紙のようなものだ。
だからこそ、デザインの果たす役割は大きく、深いものだと感じている。

<美意識とユーモア> 心に響くデザイン
「美人は三日で飽きる」という言葉があるように、何事もきれいなだけじゃつまらない。美しさだけでは物足りないように思う。それはデザインについても同じことが言える。「きれいで美しい」だけのデザインは見過ごされやすい。

普段は企業や店舗のロゴマークやパンフレット、チラシ、広告などのデザインをしている。そのデザインを制作する過程の中でもちろん「美」の視点は最も大切にしているひとつであるが、私はそれに加え「ユーモア」の観点を同じくらい大切にしている。

以前岡山の老舗アパレルショップBROOK(敬称略)のフリーカタログや夏・冬セールDMのデザインを担当させてもらったことがある。制作の要望としては「とにかくお客様の心に留まり、かつ他にはないもの」。数ある郵便物、印刷物の中から手に取ってもらわないことには始まらない。

そんな依頼を粋に感じつつも半ばためらいながら、インパクトの強い写真を用いてユーモアあるデザインを提案してみた。老舗で格式あるBROOKにとってはややもするとイメージダウンにつながりかねない。

それがそんな心配をよそに「これは何だか気になるね。わかりやすいデザインよりいろいろなシーンを想像しやすい。これで行きましょう!」という担当者のご英断により、このデザインが世に出ることになった。

これらのユーモアあるデザインは、お客様に正直様々な反応があったようだが、結果的にそうしたやりとりを含め、スタッフとお客様の間でコミュニケーションの機会が増えたそうだ。

こうしてデザインの中に「ユーモア」を交えることにより、お客様を楽しませる、驚かせると言ったコミュニケーションの場が創造できる。発信側だけが満足する情報提供だけのデザインでは決してお客様の心はつかめない。受け取り側にとっても何か期待できるもの、楽しめるものでなければ本当の意味では伝わらない。

「美」は視覚的効果を高め、「ユーモア」はコミュニケーション効果を高める。その二つが両立してこそ人の心に届くデザインになる。わかりやすく言えば、学生時代に一番人気があった奴はたいていが格好良くて、面白かったはず。

「美」とともに「ユーモア」を大切にしているBROOKの企業姿勢は、つまりはお客様を本当に大切に思っている現れであるように思う。

<デザインは投資です。−成功しているクライアントの共通点−>
先日建築設計事務所を営むKさんから突然のメールを頂いた。近々完成する住宅の見学会に向けて折込広告を作成したいとのこと。お会いしてお話を聞くと職人気質で建築に対してとても熱い想いを持たれている方だった。
規格品に頼らず、現場に立ってその土地にしかできない住宅を施主とじっくり話合いながら考える。それがモットーだ。
そういった想いをお聞きしていると、ふと頂いた名刺に添えてあった既存のロゴマークが気になった。そのデザインが良い悪い、好き嫌いではなく、Kさんの建築に対する想いや人柄をうまく表現できていない気がした。人は見た目が9割だとか、外見は最も外側の中身だと言われているが、企業理念を反映するロゴマークやそれが展開されている名刺、封筒などは、住宅という「一生の買い物」をされるお施主さんの信頼と信用を得るために欠かせないコミュニケーションツールである。
それを正直にお伝えすると実はご本人も何となくそう思っておられたようで、「資金面のこともあるので少し考えさせて欲しい」ということになった。

後日「資金は確保できたので、将来を見据え、ステップアップのためにも是非ロゴマークのリニューアルもお願いしたい」と改めて依頼があった。その言葉から今後よりよい仕事をしていくための「投資」だという強い意気込みが感じられた。
折込広告という即効性ある利益を追求することも必要だが、それよりもまずやらなければならないのは、企業の本質を正確に消費者へ伝えるためのコミュニケーションツールを整えることであり、結果的にそれが大きな利益やブランディングにつながる。そのことをKさんには理解して頂いた。

独立して10年近くなる。今までにロゴマークや名刺、パンフレットなどいわゆるオープニングデザインを企業、個人問わずたくさんさせて頂いた。そんな方々の中で経営がうまくいっているクライアントさんのはっきりとした共通点がある。それは、デザイン費を「消費」ではなく「投資」と考えている方々だ。つまりデザインを何かに付随する装飾的なものでなく、事業に必要不可欠な「設備」として捉えてくれている方々。
例えばピアノ教室を始めたMさんは、ビジュアルデザインを資本のピアノに匹敵するくらい大切なアイテムとして認識して頂いたし、独立して設計事務所を開かれたFさんは起業資金の大半をビジュアルデザイン費に充てて頂いた。お二人とも個人ベースで活動されていながら、Mさんに至っては現在100人を超える生徒さんを抱え、さらに見学者が絶えない状況のようだし、Fさんはこのご時勢にも関わらず住宅設計の依頼が引っ切り無しという状態だ。いい料理を出そうとすれば、当然よい素材を仕入れる必要がある。
もちろん成功の要因がデザインによるものだけという訳ではなく、必要な事は多少お金をかけてでもやっていくというその心構えがあるからこその結果とも言えるのだが。

逆に「消費」と捉えている方、つまりデザインを飾りとしか考えておらず、費用に対しても単なる出費という概念しかない方は、残念ながらうまくいっていない様子も垣間見える。

近年雑誌やテレビでもデザインが取り上げられることが多く、今ではデザインの必要性を多くの方々が認識してくれるようになった。しかし頭では分かっていても、行動に移せていないことが多い。
ずばり言えば、「儲かったら(資金に余裕ができたら)デザインをお願いします」ではなく、「儲けるためにデザインをお願いします」と考えられるかどうかが鍵になる。

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